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ヨーロッパにいる間に1度行きたいと思っていたアウシュビッツ強制収容所。週末1泊2日の旅程で行ってきました。
ロンドンから飛行機で2時間半、ポーランド第二の都市クラクフへ。ここがアウシュビッツへの拠点となります。「ワルシャワを東京とするなら、クラクフは京都」と喩えられる、中世からの歴史ある美しい都市遺産の町。 そのクラクフからさらに列車で一時間半。他になにもない、まさに寒村という趣きの小さな寂しい田舎町アウシュビッツ(ポーランド語;オシフィエンチム)。ここが人類史上稀に見る惨事の舞台となった村です。 アウシュビッツ収容所跡はオシフィエンチム駅から1キロ程度のところ。これが収容所の建物。質素なレンガ作りの建物は、ここだけこうしてみると倉庫街のよう。この建物が約30棟、敷地内に整然と並んでいます。 現在ではこの建物の内部に、連行されたユダヤ人のさまざまな遺品(大量の髪の毛、靴、眼鏡、衣服など)、毒殺に使った薬品の空き缶、収容所内部の様子(ベッド、トイレ、洗面所など)、数えきれないほどのユダヤ人の遺影などがそのまま展示されています。 収容所をポーランドに造った理由のひとつに、(地理的に)「ヨーロッパの中心だから」という説があります。ユダヤ人たちがどこから連行されてきたかが説明されていますが、まさにありとあらゆるところから中心(アウシュビッツ)に「集めた」ことがよくわかる地図。赤い点がアウシュビッツです。(北欧からも連行していた事実は初めて知りました。) 'Jews are a race that must be totally exterminated. By Hans Frank 1944' (「ユダヤ人というのは、完全に絶滅させなければならない人種である。」) 背筋に悪寒が走ったパネル。このスローガンのもと、これを完璧に実現させるべく殺人兵器と化したナチスドイツ。同じ人間の行動とは思えませんが、事実です。 靴の山。収容所に入ったユダヤ人たちは、文字通り身包み剥がされ、女性は丸坊主にされました。2000キロもの量の髪の毛の山には、三つ編みのまま切断されそのままの形で残っているものも。この髪の毛で織った布地も展示されていました。力尽きて死ぬまで働かせ、死んだ後はその肉体も利用する・・・。人間を家畜以下に扱う信じ難い行為がなされていたのは、今からわずか60年前のことです。 ガス室。連行されてきても、労働力にならない老人、子供はすぐにここで殺されました。ガス室の内部には焼却炉もあり、ここで処理しきれない死体は近くの野原で焼かれました。追いつかないほどどんどん殺されたユダヤ人は、アウシュビッツだけで150万人と言われています。他に、ビルケナウ、マイダネスク、ふたつの強制収容所でも同様の殺人行為がおこなわれました。 博物館によくある、仰々しい照明や、BGM、ナレーション、、、そうした演出の類は一切ありません。質素なガラス棚に無造作に置かれただけの「証拠品」の数々が、耐え切れないほど重くのしかかってくる感覚は、おそらく、実物を見ないとわからないと思います。そんな苦しさをずっと我慢しながらの見学。最後に見た「11号棟」のなかの「飢餓室」(餓死させるための実験を行った狭く汚い牢獄)で、石の壁に彫られた絵を見たところで、涙が溢れてしまいました。その部屋に囚われたポーランド人が描いたとされるキリスト磔刑の絵と、幼子を抱くマリア像です。 短絡的に感情的にはなるまい、ただ、同じ人間が犯した過ちの歴史を、生きているあいだに自分の胸に記録しておきたいという思いで訪れたのですが(実際に、「ガス室はなかった」など、強制収容所に関する歴史的事実へ反論を唱える学者研究者も数多く存在します。)、あれだけの「証拠品」を目の当たりにさせられて、冷静でいられる人はそういないと思います。 「同じ過ちを二度と繰り返してはいけない」とはよく言われることですが、ホロコーストと全く同じではないにせよ、戦争、差別、略奪、侵略・・・なんらかのかたちで今日も人間が人間に苦しめられている場所、国があることは事実です。個人レベルでできることはささやかだし限りがありますが、この人類の貴重な「負の遺産」を目にして胸に刻み込んだ思いはずっと忘れずにいよう、そう思っています。
by septfilles
| 2006-02-06 19:59
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